野田俊作の補正項
             


放射性物質の扱いに困る

2009年09月14日(月)


本日の読書
 朝方の夢でスリランカの坊さんと討論した。私は、ブッダの真意は近代生活の停止にあるのであって、南伝仏教はそうであるかに見えてそうでない、なぜなら、生産を伴っていないからだ、というような主張をした。スリランカの僧侶は、ブッダは出家を勧められたのであるし、出家は生産生活からの撤退なのだから、生産をすると仏教でないと言った。私は、それはブッダ在世時代のインドの状況によってそうなのであって、今は出家の必要はないし、第一、日本には托鉢だけで食べていける社会的な基盤がないと言った。両者とも、決着がつかないことを承知で、面白半分で楽しく話をしていた。

 目覚めてから、これは、

 戦争を嫌ふものは、「近代生活」を停止すべきである。「大都会」を停止すべきである。その二つを愛好するものと、それを人生の目的とするものは、「近代戦争」の覚悟と用意をすべきである。(保田與重郎『祖国正論T』新学社,p.236)

という保田與重郎の言葉を踏まえた話だと気がついた。保田與重郎は戦後文壇では「海中深く廃棄された放射性物質のごとく語られている」と大岡信が書いているのだそうだ。でもね、掘り出してしまえば、今でも立派に放射性物質だ。

 保田の主張の核心は、生活そのものを芸術化すること、美意識でもって全生活を設計することだと、私は理解した。たまたま彼が生まれ合わせた時代に戦争があったので、戦争という生活を芸術化する方向に話をした。平和なら平和、戦争なら戦争、生なら生、死なら死、富貴なら富貴、貧困なら貧困を芸術化するわけだ。だから、戦争があって死があったので、戦場での死を美として語った。別にとりたてて戦争を賛美したというわけではない。戦争か平和かということが問題ではなくて、戦争があるなら戦争に美を、平和があるなら平和に美を見出す。平和の中にあるのが生なら、戦争の中にあるのは死だ。だから彼は戦場での死を美しく描く。戦いに勝って生きのびた兵士ではなくて、負けて死んだ兵士に美を感じる。兵士の死を賛美しているのであって、戦争を賛美するつもりはまったくない。ないけれど、読者は戦争を賛美しているのだと思う。特に学徒兵たちは、彼の作品の中に自分たちが死ぬ理由を見つけだして、彼の本をもって戦地に赴いたりした。しかし、保田自身は戦争も軍隊も嫌いで、だからいつも憲兵に見張られていたし、最後は懲罰徴集されて外地に送られてしまう。

 戦争が終わっても彼はまったく態度を変えず、それどころか、「悔いられるのは戦争中の自分に戦争に協力する努力が足りなかったことだ」と言ったのだそうだ(桶谷秀昭『昭和精神史』文春文庫,p.473)。それは、「戦争を賛美することが足りなかった」という意味ではなく、「戦争を美しく生きる(あるいは美しく死ぬ)ことが足りなかった」という意味だろう。

 戦後の彼は悪魔のように憎まれて、杉浦明平などは、

 だからわれわれは自分たちの力、自分たちの手で、大は保田とか、浅野とかいう参謀本部お抱えの公娼を始め、そこらで笑を売っている雑魚どもを捕え、それぞれ正しく裁き、しかして或るものは他の分野におけるミリタリストや国民の敵たちと一緒に、宮城前の松の木の一本々々に吊し柿のように吊してやる。(橋川文三『日本浪漫派批判序説』講談社文芸文庫,p.10)

などと書いている。まだこれは何か書いたからいい方で、文壇からは完全に黙殺された。それは、保田が書いていることが、日本文学のいちばん中核部にかかわることであることを、みんなが知っていたからだと思う。近づくと危険なので、そこからできるだけ距離をとって暮らすことにした。それが、大岡信が「放射性物質」というゆえんだ。

 保田の信仰は本居宣長風の神道で、仏教ではないのだけれど、私にも完全に了解できる宗教的態度だ。保田は、明治天皇制を愛していたわけではなくて、古代から続く伝統としての皇室を愛していた。国民国家としての日本国を愛していたわけではなく、日本的生産生活(つまり稲作)の延長としての日本国を愛していた。むしろ明治天皇制には反対だったし、富国強兵の近代国家にも反対だった。もっとも、それと同じくらい、共産主義にも反対だったし、アメリカ文化にも反対だった。彼は一人の古代人として生きていた。しかも、古代が2千年ほど前に終わったことを誰よりも痛切に知っていた。

 日本の農業生産を組成している技術は勿論ですが、その古俗慣習、信仰、寄合の制といつた一切のものを、努めて保存することを考へなければいけません。今日では、さういふもの一切を、反進歩的だと云つたり、或ひは封建的といふ言葉で葬らうとしてゐます。(中略)封建的といはれていゐるものの中に、どんな道義に即したものがあるか、これは彼らにはわからぬのです。だから彼らの指図をうける必要はありません。彼らは「近代」を無上と信じ、それ以外の文明を知らないのです。だから「近代」といふ体系の中に存在せぬものを、理解し得ずに放棄するのです。(中略)古俗慣習は、何が正義で、何が不正か、又何が真理であって何が迷信かは、ことに当って、且つ因縁をさぐらねば、どこから正しく、どこから不正になつたか、といふこともわかりません。我々は一応保存することに努めるべきです。(保田與重郎『絶対平和論』新学社,pp.213-214)

 皇室も、「古俗慣習」の延長線上にあるわけで、だから伝えられたままに保存しなければならないし、日本国も、「寄合の制」の彼方にあるもので、だから保存しなければならない。保田がいうところの「情勢論」を一切排除して、原理に溯って考えれば、これはきわめて明解な議論だ。しかし、ひとたび情勢論を考えはじめると、とんでもない妄説だということになってしまう。

 現にもし我々が、侵略軍の軍隊を迎へたやうな場合、反抗しない、共力しない、誘惑されない、といふ形を守るには、戦車のまへに横臥して、なすにまかせるといふ、大勇猛心を振ふ位の夢のやうな決意が必要なのです。(同上書,p.47)

 戦って死ぬのと、戦わずして死ぬのと、どれだけの違いがあるのだろう。戦って生きのびるという選択肢がないことは、大東亜戦争でわかった。戦っても、かならず負けて死ぬ。死ぬのだから、戦って死ぬにせよ、戦わずに死ぬにせよ、美しく死のう。彼はただそう言っている。この点では戦前も戦後も完全に一貫している。(護憲論者のために老婆心で言っておくが、保田は日本国憲法が嫌いだ。特に第9条が嫌いだ)。

 それはそうなのだが、チベットのことなどを見ていると、怯懦の心がうずいて、やはり再軍備しなくてはねと思ってしまう。そして、「及ばずながらお手向かい申して」から死ぬのが美しいと思ってしまう。もっとも、私は兵役には年をとりすぎているから、この件に関しては発言権がないかもしれない。