野田俊作の補正項
             


日本人はいかにしてみずからを純化するか(2)

2010年03月07日(日)


本日の読書
 福山に出張して、子育てについて講演してきた。たくさん来ていただいたし、初めての方も多かった。質問もたくさんあったし、評判はよかったんじゃないかな。お世話役さんによると、ある参加者が、「補正項を読んでいるので、もっと過激な話をするかと思ったら、子育ての話だけでしたね」と言っていたそうだ。そりゃそうですよ。「補正」っていうのは、「私の中のバランスをとる」という意味で、「講演などで言えないことや言ってはいけないことを書く」ということだ。だから、ここで書くことをそのまま講演では言いませんし、講演で言うならここには書きません。

 では、さっそく過激なことを。昨日、ひとつは、日本人は他の日本人の中に「不純」なものを見つけだし憎むことで、みずからを「純粋」だと主張し、その過程で外国のことを忘れる、という話をした。それにちなんで、福島みずほ大臣が、米海兵隊の普天間基地の移転に関して、前政権は沖縄県民や名護市民の意志を無視して県内移転を決めたが、自分は県民や市民の意思を尊重して県外ないし国外移転を考えたいという意味のことを述べたことを書いた。彼女は、自分は「民主的」であるから「純粋」であり、前政権は「非民主的」であるから「不純」である、と考えている。これは奇妙な議論だ。解くべき問題は、「日本国はアメリカ(や中国やその他の国)とどうつき合うか」ということであって、「誰が民主的で誰が非民主的か」を決めることではなかったはずだ。問題を間違うと答えはかならず間違っている。

 沖縄の米軍基地は出て行くべきだ。それは私も賛成だ。外国の軍隊の基地が日本にあるというのは異常な状態だし、しかもそれに「思いやり予算」とかで日本国が駐留費用の75パーセントだかの支払いをしているのは、もっと異常な状態だ。「ヤンキー・ゴー・ホーム!」だ。そうだそうだ。なぜ日本国内に米軍基地なんてものがあるかというと、日米安保条約があるからだ。そこに、アメリカ軍は日本に駐留していいと書いてある。だから、基地に出て行ってもらうには、日米安保条約を破棄しなければならない。「安保反対!」だ。そうだそうだ。

 日米安保条約を破棄するためには、その前に憲法を改正して本式の軍隊を持ち、自主防衛ができる体制を整えなければならない。しかし、単独防衛、すなわち外国にいっさい頼らないで日本軍だけで日本を守るというのは、まったく非現実的だ。そこで、さしあたってアメリカとの間で、新しい軍事同盟を結ぶのがいい。要点は極めて簡単で、「日本が外敵に攻められたときアメリカは日本を守るし、アメリカが外敵に攻められたとき日本はアメリカを守る」という相互防衛条約だ。ちなみに、今の安保条約は、「日本が外敵に攻められたときアメリカは日本を守るが、アメリカが外敵に攻められたとき日本はアメリカを守らない」ということになっている。だからアメリカに大きな顔をされるわけだ。それがこのごろ特にやっかいになってきた。駅前シャッター通りも、派遣労働も、郵政民営化も、格差拡大も、裁判員制度も、みんな日米安保条約の対価だ、支払っているのは「思いやり予算」だけではなくて、日本の独立も支払っている。日本はアメリカの属国なのだ。

 「日本が外敵に攻められたときアメリカは日本を守るし、アメリカが外敵に攻められたとき日本はアメリカを守る」というような条約を、アメリカみたいな戦争好きな国と結ぶと、しょっちゅう引っ張り出されることになるが、それは世界中の国がそうしているのだから、現在の国際情勢下ではしょうがない。もしアメリカと軍事同盟を結ばないとなると、単独防衛は不可能だから、中国かロシアと軍事同盟を結ばなければならなくなる。それは私はいいアイデアだと思わない。選択肢は、1)いつまでも安保条約をそのままにしてアメリカの属国のままでいるか、2)憲法を改正して再軍備し安保条約を破棄して真に独立するか、のどちらかしかない。まさか、3)憲法を改正しないで安保条約を破棄し非武装中立国になる、というような「九条の会」風の主張をする人はいないでしょうね。それは無茶苦茶な議論ですよ。さて、もし2をとるなら、2−1)アメリカと軍事同盟を結ぶか、2ー2)中国(あるはロシア)と軍事同盟を結ぶか、のどちらかしかない。唯一現実的な意見は、2−1、すなわち「再軍備してアメリカと同盟を結ぶ」だろう。

 ところが、福島氏の議論は、この話を避けて、国内的な「民主主義」の話にすりかえている。これはむかし懐かしいやりかただ。1960年5月、岸信介首相は国会で日米安保条約の改定を強行採決した。これは当時、東大全学連の委員長だった西部邁氏でさえ、「当たり前のことで、僕は当たり前だと今思っているだけではなくて、そのときも思っていました。もちろん議論は必要です。しかしエンドレスで議論をやっているわけにはいきませんから、どこかで多数決をしないといけない。そして反対派が言うことを聞かなければ、どこかで強行採決せざるを得ない」(西部邁・宮崎正弘『日米安保50年』海竜社,p.75)と認めているくらいで、野党が徹底的に非協力的だったからやむをえなかったと私も思う。岸内閣の強行採決にたいして、東京都立大学教授であった竹内好氏が辞職して抗議し、さらに「民主か独裁か」という論文を書いた。これに共産党や社会党左派が飛びついて、おそらく中身をたいして読みもせず、「岸政権は民主主義を踏みにじる独裁政権だ」というキャンペーンを展開した。すなわち、岸信介首相は「独裁」であり「不純」、自分たちは「民主的」であり「純粋」という、例のフレームワークだ。人々はたちまちそれに煽られて、日米関係を放ったらかしにして、デモ隊が国会をとりまいて岸政権を攻撃した。その結果、岸内閣は崩壊した。

 岸信介氏が改定する前の旧安保条約は、1)日本はアメリカに基地を提供するが、2)アメリカには日本を守る義務はないし、3)米軍の出動について事前協議する必要はないし、4)さらに日本国内の内乱の鎮圧に米軍が出動できることになっていた。これはとんでもない条約だ。サンフランシスコ講和条約と同時に締結されたのだが、主権回復なんて実は嘘で、実際には日本はアメリカの属国だった。岸信介氏が改定した現安保条約は、1)日本はアメリカに基地を提供するが、2)アメリカは日本を守る義務があり、3)米軍の出動については事前協議が必要であり、4)日本の内政に米軍は介入しない、というように、大幅に改善されていた。これはまっとうな改定だと思う。岸首相のつもりとしては、暫定的にこのように改定しておいてから、次の段階で憲法を改正して、1)米軍は日本から引き揚げ、2)アメリカは日本を守り日本はアメリカを守る、という通常の軍事条約に改定したかったのだと思うし、そのような証言も多数ある。

 ところが、「民主か独裁か」という変なフレームワークができてしまったものだから、そういう話はできなくなって、奇妙にゆがんだ日米関係のまま50年間放置されている。福島氏も、そういうフレームワークの中にあって、「民主か独裁か」という古びたキャンペーンを持ち出して、その結果、沖縄県民なり名護市民なりの感情という「私」に注目して、日米関係という「公」を無視してしまった。国際社会からものを見るとすれば、外交や防衛というのは国の「公」的なはたらきであり、ある地域の住民の感情を尊重するというのは国の「私」的なはたらきだ。この区別をした上で、公的なはたらきに支障がないかぎりは私的な要求は最大限に尊重されるべきだが、私的な要求を満たすと公的なはたらきに支障が出る場合には、中央の政治家は、公的なはたらきを優先する勇気を持つべきだ。これが真の民主制であって、けっして独裁ではない。日本国民も、安保改定から50年もアメリカの属国をして、このままでは国が無茶苦茶になることがわかったんだから、そろそろ真の独立とは何か、そのために支払わなければならないコストとは何かを考え始めるべきだ。要は、「安保反対! アメリカ帰れ!」だ。