野田俊作の補正項
             


はなしくい

2010年08月11日(水)


 午前中に母親に会いに行った。数日前に片頭痛を起こしたという話をしていた。医学的には「古典型片頭痛」という病気で、目の中に閃点ができて、その後、前頭部の一部が痛くなり、寒気や吐き気がして、数時間ないし十数時間で終わる。なぜこんなによく知っているかというと、私にもそっくりそのまま遺伝しているからだ。

 午後からお医者さんの日で、診察を始めようとしていると、視野の左下側4分の1くらいに閃光で見えない部分ができた。あらま、「はなしくい(話食い)」だ。「はなしくい」というのは、人が何か食べ物の話をしているとそれが食べたくなってしまう性格のことだが、私は子どものころから「はなしくい」で、よく母に笑われた。しかし、こんなものまで「はなしくい」をしなくていいのにね。

 よく効く薬ができていて、いつも持って歩いているので、それを服んだのだけれど、今日に限って効かない。閃点は、はじめハオコゼのような形をしていたのが、やがてリュウグウノツカイのようになり、そのうちツノダシのようになった、といってもわからないだろうけれど、なんとなく魚のような形をしていて、中心部は灰色で視力が欠損して、まわりが金色ないし銀色に輝いている。夕方の雲のまわりが陽光で光っているような感じだ。そのうち閃点は消えて、右の眼からこめかみに向かって拍動性の痛みが出てきたが、耐えられないほどではない。そのまま診察を続けていた。そのうち、また閃点が出てきて、あれれ、重畳発作だな、これは珍しいぞと思っていたが、カルテが見えなくて困る。結局、閃点は、出たり消えたりして、最後まで続いたし、帰りの地下鉄では、階段を降りるとき足元が見えなくて困った。頭痛はずっと続いていた。

 先日来、日本の国家デッサンが狂っていることをクヨクヨ考えていたので、それが原因だろうか。日本人は長期的な戦略を立てるのが下手だと思っていたけれど、丸山眞男門下のしつこさはあっぱれだ。彼らは、昭和21年の論文「超国家主義の論理と心理」以来、まったく一貫して日本解体を進めてきた。彼らが賢いのは、日本人のマルクス主義アレルギーを考慮して、いっさいマルクス主義用語を使わず、「人権」だの「平等」だの「平和」だのといった、政治的に正当な言葉 (politically correct words) だけでもってマルクス主義を語ったことだ。その結果、日本人はすっかりだまされてしまって、「人権擁護」だの「多文化共生」だの「男女共同参画」だの「夫婦別姓」だの「新しい公共」だの「地方主権」だの「東アジア共同体」だの「外国人参政権」だのといった、耳障りはよいが、中身を詳しく聞くととんでもないアイデアを、知らないうちに受け入れさせられてきた。…そりゃ、こんなことをずっと考えていると、頭痛くらいはおこるよね。

 西部邁氏のインターネットテレビがあって、週に1回番組が替わるが、今週は、元産経新聞取締役などをなさった野地二見氏と、「新右翼」一水会代表木村三浩氏がゲストだった。野地氏は陸軍士官学校の出身なのだそうだが、終戦のときに東久邇陸軍大臣宮殿下が、「戦争の責任を陸軍がすべて背負って、一切の言い訳をしないでおこう」とおっしゃったのだそうだ。それはそれでわかるのだけれど、昭和27年の主権回復後も、陸軍の指導者たちが黙り続けたことが、私にはどうしても理解できない。左翼勢力の全盛時代だったことはわかるけれど、そうであればなおさら、日本の言い分をはっきりと言うべきであったと思う。そのツケを、いまわれわれの世代が支払っているわけだ。ああ、頭が痛い。