転生活仏のこと(3)
2011年10月04日(火)
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| 本日の読書 |
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新しいパソコンにはワードやエクセルやパワーポイントが組み込まれていなかったので、職場で家探しをしたら、使用可能な品が見つかった。まだいくつか足りないソフトがあるが、これは買うしかしょうがなさそうだ。高くつくことだ。
ダライ・ラマの声明に関連して、転生活仏の話をしているが、科学教徒は、転生活仏を「非科学的」だと言って否定する。声明の中に、
特に化身について規定はもちろんのこと、前世・来世の存在すらも認めない政治権力者たちが、ラマの化身転世者、さらにはダライ・ラマとパンチェン・ラマの化身認定に強制的に介入するのは極めて不相応なことで、彼ら自らの政治信条をも詐るような恥知らずの虚言的謀略に過ぎません。
と、中国共産党を批判した部分があったが、共産主義は極端な科学教なので、輪廻転生を否定する。しかも、転生活仏の認定に介入しようとするのは、自己矛盾している。仏教徒らしく、論敵の矛盾を指摘しているわけだ。しかし、鉄面皮の中国共産党は、こんなことは無視して、彼らの謀略を強行するだろう。それを防ぐためには、世界の多くの人が、すくなくとも仏教徒が、ダライ・ラマを支持することだと思う。
なぜ仏教が輪廻転生というような「非科学的」なものを信じるかというと、それは仏教の理論システムの中に組み込まれた不可欠の要素であるからだ。それを否定すると、仏教のシステム全体が崩壊する。仏教の思想や実践には、そのような論理学的に不可欠の要素と、そうでない要素とがある。たとえば、マントラ(真言や念仏や題目)を唱えるのは、仏教のシステムそのものにとって必然的な要素ではない。南伝仏教や禅宗のように、マントラを使わない宗派もたくさんある。仏教の用語を使うなら、マントラは智慧そのものではなくて、方便なのだ。輪廻転生は方便ではなくて、智慧の一部だ。
この区別は大切だと思う。先日、アドラー心理学練成講座をしたが、そこではアドラー心理学の智慧の部分を扱った。これに対して、方便もあって、たとえば最近流行っているのは、アドラーの言葉などを書いたカードだ。それを占いのようにして使う。私はそれに対して、否定的でもないし肯定的でもない。無知な衆生を済度するための方便としては認められるが、かといってアドラー心理学の必然的な一部ではもちろんなくて、いわば一種の迷信であるにすぎない。仏教徒であるから、迷信を否定しようとは思わないが、すくなくともアドラー心理学の布教者たちは、カードが迷信であることは知っていなければならない。
ときどきグループ・ワークでやるゲームに、こんなのがある。2人組になって、ひとりが預言者、もうひとりが信者になる。信者がなにかを相談すると、預言者は、その相談内容とはまったく関係のないお告げをする。たとえば「夫が冷たくて困っています」という信者にたいして、預言者は「カラスは木にとまっているとはかぎらない」というようなことを答える。信者はそのお告げと相談内容との関連を考えて、自分で答えを探す。アドラーの言葉などを書いたカードも、本質的にはこれと違いはない。ナンセンスな刺激でもって水平思考を活発化させているだけで、信者がアドラー心理学を学んでおればアドラー心理学的な答えに到達するかもしれないが、学んでいなければけっして到達しない。なかには、「それでも救われればいいじゃないの」という人もいるが、アドラー心理学を教える立場にある人がそういうことを言ってはいけない。
まあ、世の中は賢い人だけでできているわけではなくて、輪廻転生を否定する仏教学者もいるし、カードをアドラー心理学だと思い込むアドラー心理学の教育者もいるということだ。そんなものだよ。