野田俊作の補正項
             


翻訳が終わったら凧揚げをする

2017年02月11日(土)


 今日は紀元節だ。いまは毎朝、白ターラー菩薩のお勤めをしているが、最後に「すめろぎいやさか」をお願いしておいた。朝起きると一面の雪であったが、空は晴れていた。紀元節らしい清々しい朝であった。

 今日は親戚の子どもたちが押しかけてきた。2人の姪とその夫と男の子3人だ。基本的にわが家では料理人は私なので、今日はタンドリーチキンとカレーにした。下から説明すると、左が手羽元のタンドリー焼、中央がコールスロー・サラダ、右が腿肉のタンドリー焼、上の段は左がタンドリー焼のソースを再活用したカボチャとセロリのカレー、右が明*製菓の板チョコ入り豚肉とジャガイモと人参のカレーだ。子どももいるし辛いのが苦手な人もいるので、すべて甘口だ。子どもも一人前に食べるので、9人前作ったが、ほとんど売れて、評判は上々であった。その後は瀬田川の河原で凧揚げをした。このごろ凧揚げは流行らないようだが、おもしろいよ。

 今回の『嫌われる勇気』問題では、日本のアドレリアンたちの冷静な反応に驚嘆している。多くの人たちが SNS やブログに、「自分が正しいアドラー心理学の実践を続けて行くことが、唯一の解決策だ」というようなことを書いておられる。逆に言うと、「テレビ局に電凸(電話突撃)をかけろ」だの「デモをしろ」だの「岸見氏の Twitter などを炎上させろ」だのというような下品な提案をする人はいないし、実際にそういう動きもない。競合的になって相手の不適切な行動に注目を与えるよりも、まずは「横の平面 horizontal plane」を確保しようということだ。

 「横の関係」という日本でよく使われる言い方ではなくて、「横の平面」と書いたのは、この概念を言いはじめたリディア・ジッヒャーは horizontal plane / vertical plane と書いていたからだ。それを日本語にするときに私が「横の関係/縦の関係」と訳した。岸見氏を批判している非アドレリアンのある人が「縦の関係/横の関係という言葉は、アドラーの文献の中に見つからない」と指摘していた。よく勉強しておられることは尊敬するが、これはアドラー自身ではなくて、ジッヒャー女史の提唱だ。文献を示すなら、Davidson, A. K. ed.: "The Collected Works of Lydia Sicher: An Adlerian Perspective" だ。不思議なことに、岸見氏は、ジッヒャーの名前を出さずに、まるでアドラーの提唱であるかのように、この概念を説明しておられる。ジッヒャーのこの本を岸見氏が読んで解説しておられるのをむかし見たことがあるので(ひょっとすると私がこの本を岸見氏に紹介したのかもしれない)、故意に出典を明記しておられないのだと思う。岸見氏の書き方は、なにもかもアドラー自身(かあるいはソクラテス)に由来するかのように語る特徴がある。アドラーと岸見氏の間には(私を含めて)多くの先輩たちがいるんですよ。

 ついでに、「課題の分離」についても、岸見氏は出典をあきらかにしないで、まるでアドラーの言葉であるかのような説明の仕方をしておられる。ある「セミナー屋」さんがこれに反発して、「自分のところでやっている育児プログラムが原典だ」と主張していた。あのね、その育児プログラムは私が書いたことも言った方がいいですよ。もっとも、私が「課題の分離」という概念を発明したわけではなくて、出典はドライカースだ。ドライカースはものすごい多作だったので、初出がどれかと言われると困るのだけれど、近く創元社からドライカース&ディンクメイヤー『子どもにやる気を起こさせる方法:アドラー学派の実践的教育メソッド』が復刻出版されるので、そこらあたりを読んでいただくと、本来どういう使い方がされていたかは、おわかりになると思う。ともあれ「課題の分離」→「共同の課題」という流れは、オリジナルはドライカースで、それを私が日本人にわかりやすい言葉に翻訳して説明したのを、岸見氏が出典を明記しないで、しかも説明の後半部分をカットして紹介されたので、問題が生じたわけだ。

 何度も書いているけれど、たとえ一般書を書く場合でも、出典を明記するのは学者の基本的なマナーだ。私がはじめてアドラー心理学を勉強したときの読んだのは、Ariety, S.: ed.: "American Handbook of Psychiatry" の中のアンスバッハーの論文だが、さいわいこれは PDF 化されているので、こちらに掲載しておく。英語がイヤじゃない人は、ぜひ読んでください。ものすごくよく書けている。最後の部分を見ていただきたいのだけれど、膨大な文献リストがついている。この中で、手に入るものを片っ端から読んで、それから留学した。文献リストは、伊達についているわけではなくて、それを手がかりに系譜を遡れるようにつけてある。

 もっとも、そうしてものすごい「頭でっかち」になって留学したのだけれど、ハロルド・モザク先生の「基礎講座理論編」の最初の一日を聞いただけで、アドラー心理学は本では学べないということを実感して、すべてを忘れて先生方から直接聞いたことだけを頼りに勉強することにした。そうしてから、もう一度本を読むと、その本が全体のなかでどのあたりに位置づけられるのかがわかって、役には立ったんだけれどね。

 比良山がわが家から見える。今朝の写真を掲載しておく。