野田俊作の補正項
             


易経にいわく(2)

2017年05月17日(水)


本日の読書
 『パセージ・プラス』第5章。この章は学ぶ内容が多くないので、《私的感覚》を出す練習を丁寧にして、さらにロールプレイを使って代替案の効果を見た。《私的感覚》の分析はコツがあって、『パセージ・プラス』のリーダーの必須科目ではないのだけれど、《私的感覚》が出せなくても協力的な代替案は出さなければならないので、それに関する練習もすこしした。

 せっかく易の話をはじめたので、もうすこしする。『繋辞伝』という易の註釈書があって、そこには「火雷噬蓋(からいぜいごう)」の卦について、「善不積。不足以成名。悪不積。不足以滅身。小人以小善爲无益而弗爲也。以小悪爲无傷而弗去也。故悪積而不可掩。罪大而不可解。易曰。荷校滅耳。凶。」と書かれている。これは後世の(といっても紀元前だと思うが)文献なので、謎めき度は低い。私なりに読み解くと、「善行を積み重ねなければ(善不積)名をなすことはできないし(不足以成名)、悪行を積み重ねなければ(悪不積)身を滅ぼすまでにはならない(不足以滅身)。小人は小さな善をしたって無益だと思って(小人以小善爲无益)しようとしない(而弗爲也)。また小さな悪をしたって害はないと思って(以小悪爲无傷)やめようとしない(而弗去也)。だから悪行を積み重ねて(故悪積)しかも隠そうとしない(而不可掩)。罪は大きくなって(罪大)許すことができなくなる(而不可解)。『易経』に言う(易曰)、首かせをして(荷校)耳を切り取れ(滅耳)と。凶である」というあたりかな。

 易の神さま(天)は、さかんに戦争をしろ、首領の首をとるか、あるいは投獄しろと言い続けている。従うか従わないかはともかくとして、『易経』が言うことは現在の状況に即していると思う。そもそも「火雷噬蓋」という卦は、『雑卦伝』という註釈書の中に「噬蓋食也」と書いてあって、「口の中に挟まっている物を噛み砕け」という意味の卦だ。だから(と、易を盲信して言うが)戦争は不可避だと私は思っている。それが今月なのか、来月なのか、もうすこし先なのかはわからない。あまり先だと、緊張を続けるのに疲れるな。

 私は基本的に占いは信じていない。それなのにどうして易を立てたのかというと、ひとつは父の思い出のためだが、ひとつは発想の手がかりがほしかったからだ。『易経』の文言はきわめて謎めいていて、ちょうどロールシャッハ・テストの図形のように、さまざまの意味を投影できる。だから、読解の中から、自分が本当に考えていることが浮かび出てくるだろうと思ったのだ。仏教にも『宿曜経』のような占いの本もあるし、チベットにもあるのだけれど、いずれも占星術なので、複雑な星座図を作らなければならず、易のように簡単に卦を立てられない。まあ、謎めいた文書であればなんだっていいので、外教の経典である『易経』を使っているわけだ。

 いちばん心配しているのは、ミサイルが東京なりどこなり日本国内の人口密集地に落ちることなのだが、もしそうなったとして、日本人と日本政府はどうすればいいのだろうか。気になっているのは、現行自衛隊法の枠内で十分のことができるかどうかだ。憲法も自衛隊法も、そういう事態を想定していないので、難しいんじゃないかと心配している。

 そこで、私の意見は、ミサイルが落ちれば、内閣総理大臣はただちに国会を召集して(国会議事堂がまだ存在して、国会議員が生きておればだが)、憲法の効力を戦争終結までの間、停止する。もしも国会がもめるなら、やむを得ないからクーデターを起こして一時的に政府を乗っ取る。「誰が」クーデターを起こすかだが、まあ総理大臣だろうな。反対勢力を停戦までの間、投獄する。昨日注釈した、「柔軟なやり方でも中くらいの結果は得られるが(柔得中)、それよりも上策を行うなら(而上行)、地位ある者を殺すまではしないにしても(雖不當位)、獄に入れるのがいいだろう(利用獄也)」というのは、そういう意味にも読める。もし国会議員が爆撃で死んで居なくなっているなら、クーデターまでしなくても、内閣の一存ですべて決められる。内閣の方が居なくなっておれば、これは困った事態で、自衛隊が軍政を敷くしか方法がなくなる。その場合も、憲法の効力は停止する。つまり、いずれの場合も、憲法の効力を一時的に停止する点では変りがない。あの憲法の縛りの元に自衛隊があるかぎり、まともな戦争はできない。

 『繋辞伝』に、「子曰。小人不恥不仁。不畏不義。不見利不勤。不威不懲。小懲而大誡。此小人之v轣B易曰。履校滅趾。无咎。此之謂也。」と書かれている。先ほどの引用はいちばん上の横棒(陽卦)に対する註で、これはいちばん下の横棒に対する註だ。「先生(孔子?)がおっしゃるには(子曰)、小人は民のことを思わないことを恥じないし(小人不恥不仁)、正義にかなっていないことを畏れないし(不畏不義)、利益があると思わないと努力をしない(不見利不勤)。しかし、すこし懲らしめればすぐに反省する(小懲而大誡)。これは小人の良いところである(此小人之v轣j。『易経』に言う(易曰)、足かせを履かせて動けなくすれば(履校滅趾)、問題はなくなるだろう(无咎)、というのはこのことである(此之謂也)」というようなところかな。先ほどのは国際情勢に関する文言で、いまのは国内情勢に関する文言だと考えると、すべてつじつまが合う。実際にミサイルが落ちたら、ゴチャゴチャ言っている人たち(小人)は縮み上がるだろうし、そこにちょっと圧力を加えて動けなくする(履校滅趾)と、おとなしくなるだろう。なにはともあれ憲法停止だな。