野田俊作の補正項
             


現実的であること

2017年07月02日(日)


本日の読書
 今日は教師のための事例検討会で、あれこれ難しい話題を出していただいたが、自分で考えるのをやめてアドラー心理学の原理に戻って考えると、なんということはなく問題解決できる。アドラー心理学の力はすごい。

 今回も、日本アドラー心理学会の人じゃない人からアドラー心理学を習った人がたくさん来ておられ、話がすれ違って困った。たとえば、「アドラー心理学は共同体感覚を大切にするんでしょう」とおっしゃるのだが、「共同体感覚って何ですか?」と質問すると、あまり要領を得ない。つまり、言葉は知っているが、言葉の意味を知らないで、ただ言葉を音ないし文字として覚えている。聞きたださなかったけれど、おそらく「みんな仲良く」みたいな感じで理解しておられるんじゃないかと思う。私の定義は、「これはみんなにとってどういうことだろう。みんなのために私はなにをすればいいだろう」と考えることを言う。いつも、なにがおこっても、とくに困ったことが起こったときに、自分の利益のためでなく人々の利益のために現実的な解決目標を考え、それに向かって効果的な行動を選択し実行することを、《共同体感覚》という、きわめて不適当な言葉で言いあらわしている。だから、私はふつうはあまりこの言葉を使わないようにしていて、《協力》という言葉で置き換えている。これは co-operation の翻訳語で、「一緒に作戦をたてて一緒に取り組む」ことを意味している。これは《競合》と対になっている。『勇気づけの歌』を引用するなら、

 競合的とは相手を裁きつつ 良いと思えば褒美を与えるし
 悪いと思えば罰を与えるが これには多くの副作用がある(4)

 協力的とは相手を裁かずに 力を合わせて一緒に働くか
 相手を信じて口を出さないで 対等の位置で互いに助け合う(6)

ということだ。

 ある人が、「家父長的・封建的な育児を受けた日本人が、民主的な育児ができるようになるものだろうか」と質問された。そもそも「家父長的」だの「封建的」だのは、アメリカ占領軍が作りだして共産主義者が受け継いだプロパガンダ用語で、何を意味しているのかよくわからない。戦前の育児は戦前の育児でいいところもあったし、いまの育児はいまの育児でいいところもある。アドラー心理学は、それらを否定すれば新しく望ましい育児ができるとは思っていない。そうではなくて、「民主的」という曖昧模糊とした言葉の意味をもう一度考えてみて、これまでやったことがない新しい育児を始めてみたいと思っている。それは、これまでの育児の裏返しではなくて、新しい原理による育児だ。じゃあ、どんな原理かというと、ふたたび『勇気づけの歌』を引用する。

 相手に学んでもらいたいことが なんであるのかしっかり考えて
 どうすればそれを学んでもらえるか 場合に応じて方法工夫する(20)

 自分と相手の目標考えて どういう部分で力を合わせるか
 どういう部分で相手に任せるか 考えることで協力できるだろう(21)

 こういうやり方は、これまで実践されたことがあまりなかった。だから、たくさん練習しなければならない。そのためには、コーチについて矯正してもらう必要がある。それで全国に学習グループを作った。そこに参加しないでアドラー心理学を身につけることは難しい。

 ちょっと話題が逸れて、「安倍政権は憲法を改正して戦争できるようにしようと思っていますが、どう思われますか?」と聞く人があったので、「この次に戦争するときは勝たなければなりません。負けてはいけません」と答えたら、「でも、その前に戦争にならないように努力すべきではないですか」と言う。「それでも戦争になることはあります。そのときには勝たなければなりません」と言ったら、憤然として口をつぐんでしまわれた。私は(アドラー心理学は)現実的でありたいと思っている。《現実的》というのは《空想的》でないことで、実際に起こるかもしれない災厄については効果がありそうな対策を考えておくことだ。ちょうど、地震に備えて耐震建築を作るように、火事に備えて防火設備を整えておくように、戦争に備えて軍備を充実しておくべきだ。「火事が起こらないように努力すべきでしょう」という人もいるだろうけれど、それでも世の中には放火魔というような人たちもいるしね。

 日本の教育の問題は、現実的な目標を見失っていることだ。子どもたちがどういう大人になってくれればいいのかを、一人ひとりの子どもについて《現実的》に考える必要がある。ある子どもはしっかり勉強するのがいいだろうし、ある子どもはそんなに勉強しなくてもいいだろう。学校の勉強というのは、目的のための手段であるにすぎない。目的に向かわない手段にエネルギーを使うのは《現実的》でない。

 とはいうものの、できればすべての子どもが《学ぶこと》(《勉強》と区別して使っている)を好きでいてほしい。人生に関心を失わないでほしいし、いつも楽しく生きて行ってほしいし、世のため人のために自分にできることをしてほしい。言葉の意味を正確に知って使うことと、現実的な目標を立てること。そういう原点に立ち返って教育を考えると、最初に書いたように、そう難しくなく問題は解ける。

 帰りはプロペラ機だった。私はこの飛行機が好きだ。