アドラーは神経症の発達過程についての文章の中で、「環境に抵抗して仮想的に『自分は偉いんだ』と思い込むためにそれらを使い alle verwendet als Mittel zur fiktiven Erhoehung des Persoenlichkeitsgefuehls gegenueber der Umgebung」と書いている。「自分は偉いんだ Erhoehung des Persoenlichkeitsgefuehls」と翻訳した部分は、直訳するなら、「自分自身についての感じ Persoenlichkeitsgefuehl」を「高める Erhoehung」ということだが、「高める」というのは、「偉いぞ」と思うことでなくても、「大丈夫だ」とか「安全だ」とかいうことでもいいわけだ。アドラーがこれを「自己保身の傾向 Sicherungstendenz」と呼んだことは昨日書いた。「自分を高める」の前に「仮想的に fiktiven」と書いてあるのだが、実際に大丈夫になるような操作を何もしないで、頭の中で妄想的に「大丈夫だ」と思い込むだけであることを意味している。
「環境に抵抗する gegenueber der Umgebung」というのは、「環境からの要請に応えない」という意味だ。北朝鮮が日本全土に届くミサイルを開発したという現実は、日本国民にある要請を突きつける。それはたとえば、どうすれば国家と国土と国民を守れるか考えなさいということだし、自衛隊の装備や動き方をどうすべきか考えなさいということだし、そのための基礎として憲法9条をどうするか考えなさいということだ。しかし多くの人は、その要請に応えると、「戦前の間違った思想に逆戻りしてしまう」と感じて、劣等感が刺激されて苦しくなってしまう。
その苦しさを避けて「仮想的に fiktiven」大丈夫だと思うための「道具 Mittel」として「すべてを利用する alle verwendet」。それが、たとえば森友事件だの加計事件についてのニュースだし、あるいは芸能人の浮気だの死だのについてのニュースだし、将棋の天才についてのニュースだ。それらはある種の「薬物 Mittel」として働いて、それを服用している間は「世界は安全だ」「私は大丈夫だ」という幻覚妄想の中で暮らすことができる。しかし、それにもかかわらず現実を見ると、北朝鮮はミサイルを飛ばし続けるし、中国は領海侵入・領空侵入をエスカレートさせている。