余呉湖で釣り
野田俊作
ヨランタ親子を連れて滋賀県北部の余呉湖に釣りに行った。このところスケジュールが過密で疲れているようなので、とにかく何もしない一日を自然の中で作ってあげるのがいいと思ったのだが、それなりに効果はあったように思う。
対象魚はブルーギル。これは誰も狙わない魚なのだが、とにかく貪欲なので、居さえすればいくらでも釣れる。ルアー釣りだとまだいくらかの技術があるが、エサ釣りだと、初めての人でも簡単に釣れる。ただひとつの問題は、針を呑み込んでしまうので、はずすのが難しい。慣れた釣り人だと、かかってすぐに引き上げるので針を呑み込ませたりしないが、慣れない人は胃まで呑み込まれてからようやく引き上げる。それで、キス釣り用の、軸の長い針を用意したが、それでもときどきすっかり呑み込まれてしまって、はずすのに苦労した。
ヨランタ親子は昆虫が好きで、釣りに飽きると、コガネムシだのカメムシだのコオロギだのを見つけては大喜びしている。ラトヴィアは北国なので、昆虫が少ないのかもしれない。新しい虫を見つけるたびに「これは噛まない?」と聞いて、噛まないとわかると、飽きずに遊んでいる。こういう日も必要だ。
合間に、あれこれ話をした。ヨランタのおじいさんはシベリアでなくなったので、顔を知らないそうだ。日本人は「シベリア」と聞くと戦後すぐのことだと思い込みやすいが、そうではない。旧共産圏では、1990年のソ連の崩壊まで、シベリア抑留はずっと続いていた。「ラトヴィアは位置が悪いの。最初ドイツが入ってきて、ラトヴィアの男たちを兵隊にとった。そのあとソ連が入ってきて、ラトヴィアの男たちを兵隊にとった。だから、兄と弟が敵同士になって撃ち合わなければならなかったの。私たちが生き残れたことは、ほんとうに奇跡のようなものよ」と、彼女は悲しそうに言う。ナラも、「そうよね。生きていることって、ほんとうに不思議」と言う。戦争に生き残っても、自分の意見を言うとたちまちシベリア送りだった。「沈黙か死か」の時代が50年も続いたのだ。ようやくこうして自由に外国に来れる時代が来て、彼女たちはラッキーだが、問題はそれをどうやって継続させるかだ。